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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)258号 判決 1993年2月23日

イギリス国

ウオルバハンプトン ダブリューブイニ ニビーユーデイクソンストリート

原告

レイストール エンジニアリング カンパニー リミテッド

右代表者

ロバート ウエツジ

右同所

原告

ジョン アーネスト ターナー

右同所

原告

ロバート ウエツジ

右原告ら訴訟代理人弁理士

最上正太郎

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官

麻生渡

右指定代理人

舟田典秀

田中靖紘

田辺秀三

主文

特許庁が昭和六一年審判第二一五七二号事件について

平成元年六月二九日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

主文と同旨の判決

二  被告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告らは、名称を「ピストンリングの製造方法」(後に「ピストンリングの外周面処理方法」と訂正)とする発明について、一九八〇年二月一一日の英国出願に基づく優先権を主張して昭和五六年一月二九日、特許権の出願登録をしたところ、同六一年六月三〇日、拒絶査定を受けたので、同年一一月四日、審判を請求した。特許庁は、右請求を昭和六一年審判第二一五七二号事件として審理した結果、平成元年六月二九日、右請求は成り立たない、とする審決をした。

二  本願発明の要旨(特許請求の範囲第一項の記載と同じ)

「高耐磨耗性のピストンリングの外周面処理方法において、常法により製造された複数個のピストンリングを一本の心軸上に装着保持し、それらピストンリングと共に上記心軸をピストンリングの外径より小径のシリンダ内に挿入し、上記ピストンリングの弾性力をシリンダ内面に作用させ、上記心軸とシリンダとの間に、相対回転運動と上記相対回転運動よりも長周期の相対往復運動とから成る複合運動を付与すると共に、炭化ケイ素等の高硬度微粒子を含むスラリーを上記シリンダ内に注ぎ込み、ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、上記炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むことを特徴とする上記ピストンリングの外周面処理方法」(別紙図面一参照)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。なお、右記載における「炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込む」ことについての本願発明の方法としての構成は、前記本願発明の要旨中の「常法により製造された複数個のピストンリングを一本の心軸上に装着保持し、それらピストンリング・・・ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ」ることにあるものと認める。

2  引用例(特開昭五四-三七九九三号公報)には、「複数の未加工ピストンリングをプレート間で保持し、それらのピストンリングをその合い口を閉じた状態でラッピングスリーブに挿入し、ピストンリングの自己張力を利用して、ピストンリング外周面をラッピングスリーブ内壁面に圧接させ、砥粒を含む研削液の存在下で、ピストンリングを保持したプレートに連結したロッドを、ラッピングスリーブに対して上下動及び回転動させて、ピストンリングに上下動及び回転動を与えてピストンリング外周面の仕上げを行うピストンリングの外周面処理方法。」(別紙図面二参照)が記載されており、引用例における右「砥粒を含む研削液」の砥粒は、当然に高硬度微粒子であり、そして、ピストンリングを保持するプレート及びプレートに連結されたロッドは、本願発明の心軸に、ラッピングスリーブは、シリンダにそれぞれ相当するものである。

また、引用発明のピストンリングは上下動及び回転動が与えられることからして、ピストンリング外周面に網目状の溝を生ずるものと認められる。

3  本願発明と引用発明を対比すると、以下の一致点及び相違点がある。

(一) 一致点

両者は、未加工の複数個のピストンリングを心軸上に装着保持し、それらピストンリングと共に心軸をピストンリングの外径よりも小径のシリンダ内に挿入し、ピストンリングの弾性力をシリンダ内面に作用させ、心軸とシリンダとの間に、相対回転運動と相対往復運動とからなる複合運動を付与するとともに、高硬度微粒子を含むスラリーを注ぎ込み、ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせている点で一致する。

(二) 相違点

付与する回転運動と往復運動との関係において、本願発明は、回転運動よりも長周期の往復運動であるのに対し、引用発明は、その大小関係について説明がない点で、両者は、方法の発明としての構成の一部を一応異にしている(相違点)。また、引用例には、高硬度微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むものであるとの説明がない。

4  本願発明と引用発明との方法の発明としての構成上の相違点は、前記の本願発明が回転運動よりも長周期の往復運動が付与されるのに対し、引用発明は回転運動と往復運動の周期の大小関係が明らかでない点のみであるから、この相違点について判断すると、この相違点により、本願発明では、高硬度微粒子がピストンリングの外周面に恒久的に埋め込まれ、引用発明では、それがなされないという理由は不明である。そうすると、本願発明と引用発明との方法の発明としての構成上の前記相違点を格別のものとすることはできず、必要に応じて適宜なし得たことと認められる。この点について、更に述べると、回転運動よりも長周期の往復運動を付与するとの構成が、高硬度微粒子をピストンリングの外周面に埋め込む態様(恒久的に埋め込むかどうか)に影響を与えるとは認められず、本願発明と引用発明との間には、回転運動よりも長周期の往復運動を付与する点を除き方法の発明としての構成上の差異は認められず、したがって、本願発明において、高硬度微粒子がピストンリングの外周面に恒久的に埋め込まれるものとすれば、引用発明においても同程度に高硬度微粒子がピストンリングの外周面に恒久的に埋め込まれるものである。

5  したがって、本願発明は、引用発明に基づき当業者が容易に発明することができたものであり、特許法二九条二項により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1のうち、なお書き部分は争うが、その余は認める。同2のうち、引用発明においてもピストンリングの外周面に網目状の溝が生じるとの点は争うが、その余は認める。同3(一)のうち、本願発明と引用発明がピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせている点で一致するとの点は争うが、その余の点は認める。同3(二)は認める(但し、両発明の相違点が審決摘示に係る構成のみにあるのではない。)。同4のうち、回転運動よりも長周期の往復運動を付与するとの構成が高硬度微粒子をピストンリング外周面に埋め込む態様(恒久的に埋め込むかどうか)に影響を与えるとは認められないとの点は争わないが、その余は争う。同5は争う。審決は、方法の発明としての本願発明の構成要件の解釈を誤り、ひいては両発明の一致点の認定を誤り相違点を看過したものであるから、違法であり、取消しを免れない。

審決は、本願発明と引用発明がピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせている点で一致するとするとするが、以下のように誤りである。

すなわち、まず、本願発明についてみると、本願発明の目的は、ピストンリングの外周面に恒久的に、すなわち、ピストンに装着されたピストンリングがエンジン内部で使用され、磨損して廃棄されるまで、硬質微粒子を埋め込み、ピストンリングの耐久度を向上させることにある。本願発明においては、右目的を達成するために、前記の本願発明の要旨に記載の構成を採用したものであるが、そこにおいては、<1>シリンダとピストンの相対運動の速度、<2>ピストンリングの外周面の材質、<3>シリンダ内面の材質、<4>高硬度粒子の大きさ等については直接論及していない。これは、これらの諸条件が相互に複雑な関係を有する上、使用するスラリーの濃度や媒体の粘度、ピストンリングの形状や外周面の材質、硬度などにより大幅に変動するので、事実上限定することが不可能なためである。それ故、本願発明の特許請求の範囲第一項においては、本願発明と周知のラッピングとの区別を明らかにするため、前記のように「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、上記炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むこと」を特徴とすると限定したものである。したがって、前記の諸条件は総合して「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、上記炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むこと」ができるように選定されなければならないのである。

これに対して、引用発明は右に述べたような本願発明の目的及び構成と異なり、本願発明の奏する前記の効果を奏するものではない。すなわち、引用発明は、公知のラッピングによるピストン外周面の仕上げ、すなわち、ピストンリングの外周面の寸法精度を出すとともに、外周面を傷のない滑らかな鏡面に仕上げる加工技術である。しかして、引用発明の構成は、「ピストンリングの呼び径に等しいラッピングスリーブ内に複数のピストンリングをその合い口を閉じた状態で挿入し、高硬度粒子を含むスラリーを供給しつつ、両者間に相対的な往復ラセン運動を与え、ピストンリングの外周面の傷を除いて滑らかな鏡面とし、かつ正確にその寸法を出す」ことであり、その効果は、「外周面に存在した傷が除かれて滑らかになり、寸法精度の高いピストンリングが得られる」ことである。このように、引用発明においては、ピストンリングの外周面に生じた網目状の研磨傷が取り除かれて、被加工面は鏡面とされ、また、加工中に被加工面に付着した高硬度微粒子は加工終了後、加工面から完全に除去されるものである。なお、引用発明においても、<1>シリンダとピストンリングの相対運動の速度、<2>ピストンリングの外周面の材質、<3>シリンダ内面の材質、<4>高硬度粒子の材質等は記載されていないが、これらの条件は総合して右目的が達成できるように選定されるものである。したがって、かかる引用発明においては、本願発明における「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、上記炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むこと」が行われるはずはないのである。

審決は、本願発明の要旨中の「炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込む」ことについての本願発明の方法としての構成は、「常法により製造された複数個のピストンリング・・・ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ」にあるものと認められるとするが、本願発明の特許請求の範囲第一項には「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むことを特徴とする」とあるのであるから、後段の「炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むこと」が本願発明の構成要件であることは明らかであり、審決の本願発明の構成要件の解釈は誤っている。

そして、本願発明と引用発明との方法の発明としての最も本質的な構成上の差異は、本願発明においては、ピストンリングの外周面に網目状の溝を形成し、硬質微粒子を恒久的に埋め込むのに対し、引用発明においては、その反対に同粒子を埋め込まないのであるから、その相違点を「本願発明が回転運動よりも長周期の往復運動が付与されるのに対し、引用例の発明では回転運動と往復運動の周期の大小関係が明らかでない点のみである」とした審決の判断は誤っており、審決は最も本質的な相違点を看過したものである。

以上のように、審決は、本願発明と引用発明との最も本質的な相違点を看過し、その進歩性の判断を誤ったものであるから、違法であり、取消しを免れない。

第三  請求の原因に対する認否及び反論

一  請求の原因に対する認否

請求の原因一ないし三は認めるが、同四は争う。

二  反論

本願発明は、「常法により製造された複数個のピストンリングを一本の心軸上に装着保持し、それらピストンリングと共に上記心軸をピストンリングの外径より小径のシリンダ内に挿入し、上記ピストンリングの弾性力をシリンダ内面に作用させ、上記心軸とシリンダとの間に、相対回転運動と上記相対回転運動よりも長周期の相対往復運動とから成る複合運動を付与すると共に、炭化ケイ素等の高硬度微粒子を含むスラリーを上記シリンダ内に注ぎ込み」の具体的手段によって、ピストンリングに「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ上記炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込んだ」状態とするピストンリングの外周面処理方法の発明である。

原告らは、<1>シリンダとピストンの相対運動の速度、<2>ピストンリングの外周面の材質、<3>シリンダ内面の材質、<4>高硬度粒子の大きさ等の諸条件を加味して初めて「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、上記炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むこと」ができると主張している。

しかし、特許請求の範囲第一項には、右<1>ないし<4>について何ら記載されておらず、本願発明は原告ら主張の右特定の要件を発明の構成要件としたものではない。本願発明は、方法の発明であり、方法的手段として前記手段を必須の構成要件とする発明であり、その手段によりピストンリングに「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、前記炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込んだ」状態とするピストンリングの外周面処理方法の発明である。

これに対し、引用発明は、「ピストンリング外周面の仕上げを行うピストンリングの外周面処理方法」である。

ところで、二つの部材間に粒子を挿入して擦った場合粒子が部材表面に傷をつけ、埋め込まれることは普通の現象であり、例えば、ラッピング処理についても例外ではなく部材間に傷がつき、粒子が埋め込まれていくのである。それ故、引用発明は、「複数の未加工のピストンリングをプレート間で保持し、それらのピストンリングをその合い口を閉じた状態でラッピングスリーブに挿入し、ピストンリングの自己張力を利用して、ピストンリング外周面をラッピングスリーブ内壁面に圧接させ、砥粒を含む研削液の存在下で、ピストンリングを保持したプレートに連結したロッドを、ラッピングスリーブに対して上下動及び回転動させ、ピストンリングに上下動及び回転動を与えて」の手段により、ピストンリングに「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、炭化ケイ素等の微粒子をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込んだ」状態とするピストンリングの外周面処理方法の発明である。

以上から明らかなように、特許請求の範囲第一項において、シリンダとピストンリングの相対運動の速度、ピストンリングの外周面の材質、シリンダ内面の材質、高硬度粒子の大きさを特定した具体的手段の記載のない本願発明と、引用発明とは、引用発明において「回転運動の周期の大小関係」が明らかでない点を除けば同一の構成を有するものである。そして、右の相違点は格別のものではないから、本願発明は引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであり、審決の認定判断に誤りはない。

第四  証拠

証拠関係は書証目録記載のとおりである。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

成立に争いのない甲第二号証(本願発明の明細書)、同第三号証の一(本願発明に係る昭和五六年六月二二日付け手続補正書)、同第三号証の四(本願発明に係る昭和六三年六月二〇日付け手続補正書)及び同第三号証の五(同昭和六三年一〇月一四日付け手続補正書、以下、これらを一括して「本願明細書」という。)によれば、本願発明の概要は以下のとおりであると認められる。

本願発明は、ピストンリング、特に内燃機関用のピストンリングの外周面の処理法に関するものであり、ピストンリングの表面に高耐摩耗性を付与する製造方法を提供するものである。内燃機関用のシリンダライナの製造において、ライナの内壁面の表層内に炭化ケイ素等の高硬度の粒子を作為的、恒久的に埋め込むことにより、高耐摩耗性のシリンダライナを製造する方法は既に知られていたが、ピストンリングに関しては、このような処理法はこれまで知られていなかった。そこで、本願発明者は、特許請求の範囲第一項記載の製造方法を採用することにより、ピストンリングの外周面に炭化ケイ素の微粒子を恒久的に埋め込むことが可能であり、これによりピストンリング外周面の耐久性の大幅な向上を図ることができることを発見したものである。

三  取消事由について

1  審決の理由の要点のうち、本願発明の要旨及び引用発明の技術的事項に関する認定並びに審決摘示の本願発明と引用発明の対応関係、引用発明においてもピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせているとの点を除く一致点及び相違点については当事者間に争いがない。審決は、本願発明の特許請求の範囲第一項記載の「炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込む」ことについての本願発明の方法としての構成は、同記載中の「常法により製造された複数個のピストンリングを一本の心軸上に装着保持し、それらピストンリング・・・ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ」る点にあるとし、前者の構成要件を、「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ(る)」構成と共に本願発明と引用発明の一致点と判断しているので、以下に右判断の当否について検討する。

2  まず、本願発明についてみるに、本願明細書には以下の記載が認められる。従来公知のピストンリングの製造法では、素材鋳造後、上下面の研削、外周のカム旋削、合い口の切り落とし、合い口を閉じた状態で内周の加工を行ったあと、さらに総型研削又はバレル研磨等の仕上げ加工及びパーカ処理等により、ピストンリングを仕上げている。右バレル研磨においては、ピストンリングは、砥粒スラリーが供給されるラッピングシリンダの中で、上下一対のラッピングガイドに緩やかに挟まれてガイドと共に上下運動をし、その外周がラッピングシリンダの内壁面と摺動し、ラッピングされるものである(前掲甲第三号証の四、五頁九行ないし同頁末行)。ところで、従来は、かかるバレル研磨はもとよりラッピングにおいても、砥粒が処理面に残留してはならないと考えられており、また、ラッピング後の洗浄工程で完全に除去されるものと考えられていたが、本願発明者等は、ラッピング処理された部材の表面に相当量の砥粒が残留していることを発見した(同六頁一一行ないし同頁末行)。しかし、本願発明の外周面処理方法と従来のラッピングによる処理法及びそれぞれの方法により製造されたピストンリングの外周面に埋め込まれた、ないしは残留した炭化ケイ素粒子の付着状況の間には、以下に述べるような相違がある。第一は、本願発明においては、炭化ケイ素粒子がピストンリングの外周面に恒久的に埋め込まれるのに対し、従来のラッピング法による場合は、一時的に表面に付着するにすぎない点である(同七頁六行ないし一四行)。第二は、本願発明においては、可能な限り多数の硬質粒子を埋め込むことが推奨され、少なくとも処理面一mm2当たり約三〇〇〇個以上、望ましくは五〇〇〇個ないし七〇〇〇個又はそれ以上とするのに対し、従来のラッピング法による場合は、ラップ粉は作業終了後できるだけ完全に金属表面から除去されるべきものが不本意に残留するものであり、処理面一mm2当たり約二〇〇〇個前後、又はそれ以下である点である(同八頁四行ないし一二行)。第三は、本願発明においては、ピストンリングはシリンダ内でその中心軸の回りを相当の速度で回転しつつ、軸方向に緩やかに往復運動をすることにより、リングの外周面にX字条にクロスする溝が切られ、その内部に硬質粒子が嵌め込まれ、ピストンリング外周面に特有の細かい凹凸が形成されるのに対し、従来のラッピング法による場合は、ピストンリングはラッピングシリンダの軸方向に往復運動のみを行う点である(同八頁一三行ないし九頁八行)。第四は、本願発明においては、二二〇メッシュの粒子を含むスラリーを用いて第一段階の溝切りと埋込みを行い、次いで四〇〇メッシュの粒子を含んだスラリーを用いて前段処理で埋め込んだ粒子の突出部の除去と追加の埋込みを行うことが推奨されるのに対し、従来のラッピング法による場合は、加工の能率が許す限り、微細なラップ粉が使用される点である(同九頁九行ないし一八行)。また、本願発明の奏する効果について、ピストンリングとライナの両者に炭化ケイ素の埋込み処理を行うと、一種の共材接触が行われるにもかかわらず、カジリ等の障害は全く生ぜず、ピストンリング及びライナの摩耗量が大幅に減少する(同二一頁九行ないし一二行)。なお、本願明細書に示された実施例においては、ピストンリングを装着した心軸の回転速度を一七〇r・p・mとし、これと同時に毎分五サイクル程度で数mmないし数十mmの範囲のストロークの往復運動により上下に反復移動させ、液体(油)中に二二〇メッシュの炭化ケイ素粉末を含有させたスラリーをシリンダ内に流し込み、一分間処理し、さらに四〇〇メッシュの炭化ケイ素で一分間同様の処理を施した例が示されている(同一二頁一七行ないし一三頁末行)。そして、本願明細書のこれらの記載によれば、本願発明において「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ(る)」との要件は、高硬度微粒子埋込みの前提条件をなすものとして前記の恒久的な埋込みの達成を可能とするための要件と不可分の関係を有するものと理解すべきものである。

3  次に引用発明について検討するに、成立に争いのない甲第四号証(引用発明に係る出願公開公報)によれば、引用発明は、ピストンリングの外周面処理装置に関し、ピストンリングの呼び径に等しい内径を有するピストンリング外周面仕上げ用加工スリーブを分割式にし、このスリーブ内径の調整を可能にしたピストンリングの外周面仕上げ装置に関するものである((2)頁下から一〇行ないし五行)。引用発明は、多量のピストンリングの外周面を連続的に加工する場合において、従来のピストンリングの外周面ラッピング方法、すなわち、ピストンリングの呼び径に等しいラッピングスリーブに自己緊張性のピストンリングをその合い口を閉じた状態で挿入し、ピストンリングの自己張力を利用して、ピストンリング外周面をラッピングスリーブ内壁面に圧接させ、砥粒を含む研削液の存在下で、ピストンリングを上下動及び回転動させてピストンリング外周面の仕上げを行う方法では、スリーブ内壁面が摩耗してその径が大きくなり、ピストンリングの外周面を所定の外径に仕上げることができなくなるため、新たなスリーブとの交換が必要となるところ、この交換が作業能率を低下させ、ひいては製品単価を上昇させるという欠点を有していたことから、前記のようなスリーブ内径の調整を可能とした分割型加工スリーブを採用することにより前記の欠点を克服することを主たる技術課題としたものである((3)頁一一行ないし(4)頁一一行)。したがって、引用発明は、従来周知のラッピング法によるピストンリングの外周面処理方法において、加工スリーブの交換過程を改良することによりその高効率化を目指した技術ということができる。

4  そこで、次に、本願出願前における周知のラッピング技術についてみると、成立に争いのない甲第五号証の三(昭和三二年七月二〇日株式会社誠文堂新光社発行、松永正久著「ラッピング」)には、「鋳鉄ラップが賞用される理由」として、「ラップは砥粒によって工作物を削りとるのであるからこの内(ラップの中の意、引用者注)に砥粒が埋込まれていることが理想的である。このためにはラップはできるだけ軟かい方がよい。」(一二九頁九行ないし一一行)との記載が、また、同甲第八号証(昭和四九年三月一〇日株式会社養賢堂発行、機械製作法研究会編「最新機械製作」)には、「ラップ仕上げの方法」として、「工作物をラップ(lap)の表面に押し付けて、両者の間にラップ剤(lapping powder)を加えて相対運動させ、工作物表面から微量の切りくずを取り去って工作物の寸法精度を高め仕上面をなめらかにする方法がラップ仕上げ(lapping)である。ラップ仕上げは、工作液を使うと否とで図17・20(a)(b)のように湿式法と乾式法とに分けられる。湿式法では遊離した砥粒のころがりによる切削、乾式法では埋め込み砥粒の引っかきによる切削が行なわれる。・・・中略・・・湿式法では一般になし(梨)地無光沢面が作られ、乾式法では引っかききずによる光沢面ができる。乾式法で特に細かい砥粒を使い、わずかの油膜の存在のもとにラップ仕上げをすれば、きず目のない鏡面(mirror finished surface)を作ることができる。」(三〇八頁下から五行ないし三〇九頁九行)との記載が、さらに、成立に争いのない乙第七号証(昭和三三年一二月二〇日株式会社コロナ社発行、精機学会編著「新訂精密工作便覧」)には、「ラッピングとはラップに加工物の表面を押し付け、両者の間に砥粒と加工液を加えて、ラップと加工物とを完全拘束することなく、両者を相対運動させ、加工液によって加工物の表面からわずかな切りくず(じん性材料に対し)や砕片(硬ぜい材料に対し)を取り去り、寸法精度のよいなめらかな仕上面を得る加工法である。これに対して砥粒が更に細かく、ラップも粘弾性的性質に富む材料を用いてきずの発生を極力おさえ高度の鏡面を得る方法をポリシングという。ここにラップとは砥粒を保持し正確な形状をもってこれを加工物の間で転動または固定して、加工物に微小切削、微細割れ、塑性流動などを与えるような、かたくて融点の高い粒状ないし粉末状物質をいう。」(七七八頁左欄下から六行ないし右欄下から七行)との記載が、それぞれ認められる。そして、これらの記載によれば、ラッピングとは、ラップによって加工物の表面に押し付けられたラップ剤、すなわち砥粒が、ころがりあるいは引っかきにより、加工物表面の切りくずや砕片を、切削してその表面を滑らかにする技術をいうものと解することができ、引用例に開示された前記のピストンリングの外周面の処理技術もかかるラッピング法によるものであることは、前述したとおりである。

5  そこで、本願発明と引用発明を対比してみると、両者は、共にピストンリングの外周面の処理技術である点において技術分野を同じくし、また、その構成においても、ラッピングスリーブ(シリンダ)とピストンリングとの相対的な回転運動と往復運動、ピストンリングの弾性力のラッピングスリーブ(シリンダ)への作用、及び高硬度微粒子を含むスラリーのラッピングスリーブ(シリンダ)とピストンリングとの間への注入の点において、形式的にみる限り、共通するものということができる。

しかしながら、本願発明は前記2に述べたように、ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、炭化ケイ素等の高硬度微粒子を恒久的に埋め込むことによりその耐久性の大幅な向上を図ることを技術課題とするのに対し、引用発明は、前記のように加工物表面の切りくずや砕片を、砥粒で切削してその表面を滑らかにすることを技術課題とするものであるから、両者は、その方法において前記のように一見共通する側面を有するとしても、各技術が目指す課題及び効果を異にするものであって、その技術的思想を異にしていることは明らかというべきである。

6  被告は、ラッピングにおいても砥粒が加工物の表面に埋め込まれることについては本願発明と異ならないと主張するので、以下、この点について検討する。

成立に争いのない乙第三号証(前掲「新訂精密工作便覧」七九七頁)には、「砥粒の埋込みまたは残留は電子回折によって確認され、また中性子を照射したC砥粒によるラッピングで加工物面に埋め込まれる砥粒の量が測定されている。」との記載が、また、前掲甲第五号証の三には「軟金属のように砥粒が埋め込まれてラッピング機構を複雑にするものもあり、・・・」(五七頁下から九行ないし五行)との記載がそれぞれ認められるところであるし、前掲甲第三号証の四(本願発明に係る昭和六三年六月二〇日付け手続補正書)にも、「本発明者等の研究によれば、従来公知の方法でラッピング処理された部材表面にも相当量の砥粒が残留していることが発見された。」(六頁下から三行ないし末行)との記載が認められるのであるから、これらの記載からすれば、従来のラッピング処理法によってピストンリングの外周面を処理した場合にも、ピストンリングの外周面に溝が生じ、これに砥粒が埋め込まれ、あるいは残留することは、十分肯認され得るところである。

そして、被告が主張するように、本願発明はその特許請求の範囲第一項においては、シリンダとピストンリングの外周面の素材、シリンダ内面の材質、高硬度微粒子の大きさ等について特段の定めをしていないから、当事者間に争いのない本願発明と引用発明の一致点の構成からみて、引用発明においても、外周面における溝の形成と高硬度微粒子の残留という現象を全く否定し去ることはできない。しかしながら、既に認定したところによれば、本願発明においては、耐久性の大幅向上を目的として、積極的に、ピストンリングの外周面に網目状の溝を形成した上、炭化ケイ素等の高硬度微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込むものであるのに対し、引用発明を含め加工物表面を滑らかにする技術である従来のラッピング法にあっては、かかる微粒子は本来除去されるべきものであるにもかかわらず、不本意な不可避的な現象として、生じた溝に埋め込まれ、残留しているのであり、本願発明のような恒久的な微粒子の埋め込み及びそのための溝の形成はもともと予定していないものということができる。本願発明の進歩性を判断するに当たり、引用発明における本来予定しないかような現象を捉えて、積極的に溝を形成し、微粒子を埋め込むことを内容とする本願発明と対比することは誤りであり、溝の形成といい、微粒子の埋め込みといい、両発明における技術的意義は全く異なるのである。現に、本件全証拠によっても、従来のラッピング法による砥粒の埋め込みないし残留が、前記2に述べた本願発明の外周面処理法による高硬度微粒子の埋め込みと、埋込強度ないしは埋込量の点において同程度であることを認めることはできないのである。

したがって、引用発明を含め従来のラッピング法においても、加工物の表面に砥粒がある程度埋め込まれることは、被告の指摘するとおりであるが、本願発明と引用発明における微粒子埋め込みの技術的意義を同一視することはできないし、また、その埋込強度及び埋込量において本願発明の外周面処理法と差異がないとするのは早計というべきであって、この意味において、被告の前記主張は採用できず、したがって、引用発明においても本願発明と同程度に網目状の溝が生じ、高硬度微粒子がピストンリングの外周面に恒久的に埋め込まれるとする審決の認定は誤りというべきである。審決は、両発明の一見形式的に共通しているかの如き技術的事項に捕らわれ、その技術的課題、技術的思想及び効果に対する相違について検討しないまま、本願発明の進歩性を否定したものというべきである。

7  以上説示したところによれば、「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込む」構成が両発明の一致点であるとした審決の判断は誤りであるといわざるを得ないが、更に進んで、ことは本願発明の方法としての右構成の技術的意義を本願明細書の発明の詳細な説明を参酌しつつ検討すると、本願発明に係る外周面処理法と引用発明による外周面処理法との間においては、ピストンリングの外周面に埋め込まれる高硬度微粒子の埋込強度ないしは埋込量において明確な差異があることは、前項に述べたとおりである。そこで、かかる差異をもたらす両発明の構成上の相違についてみるに、前記2に認定の事実によれば、本願発明の方法では、ピストンリングはシリンダ内でその中心軸の回りを相当の速度で回転しつつ、軸方向に緩やかに往復運動をすることにより、リングの外周面にX字条にクロスする溝が切られ、その内部に硬質粒子が嵌め込まれ、ピストンリング外周面に特有の細かい凹凸が形成されるのに対し、従来のラッピング法による場合は、ピストンリングはラッピングシリンダの軸方向に往復運動のみを行う点において相違し、また、本願発明においては、二二〇メッシュの粒子を含むスラリーを用いて第一段階の溝切りと埋め込みを行い、次いで四〇〇メッシュの粒子を含んだスラリーを用いて前段処理で埋め込んだ粒子の突出部の除去と追加の埋め込みを行うことが推奨されるのに対し、従来のラッピング法による場合は、可能な限り微細なラップ粉が使用される点において相違するものであるから、これらの各相違点が相まって、前記のような本願発明と引用発明の奏する効果の相違をもたらすものと推認するのが相当であるということができる(なお、原告らは、前者の相違点が両発明における埋め込みの態様に影響を及ぼすものでないことを争わないところであるが、その趣旨はこの相違点のみによって両発明の埋め込みの態様に相違が生ずるものではないとする趣旨であることはその主張自体に照らして明かなところである。)。そうすると、前記の本願発明の要旨における「ピストンリングの外周面に網目状の溝を生じさせ、炭化ケイ素等の微粒子等をピストンリングの外周面に恒久的に埋め込む」との構成要件は、本願発明における高硬度微粒子の恒久的な埋め込みの達成に必要とされる前記のようなピストンリングの運動方法及び高硬度微粒子の大きさ等の諸条件を必須要件として規定しているものと理解するのが相当である。そして、これらの諸条件は前記のとおり特許請求の範囲第一項に記載されていないとはいえ、当業者の技術常識により、右構成要件を具備させるべく設定されることが可能なものとして予定されているものと解せられるのである。

8  このように一致点を誤認した審決の判断の誤りがその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法として取消しを免れないというべきである。

四  よって、本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)

別紙図面一

<省略>

別紙図面二

<省略>

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